ひとりごと

誰かに自分の話をするのが苦手です

仕事を辞める女の話。

今年最後の決意のはなし。

 

 

4年半勤めて来た今の仕事を辞めることにしたよって話をします。

 

音楽に詳しかったわけでも、好きだったわけでもなかったけど、CDっていう媒体が好きで今の仕事をはじめました。

 

ジャケットも歌詞カードも帯もCDの盤も曲も、色んなものが一つになって売り出されているその一枚にとてもロマンを感じていた。

 

ただ、そのロマンを仕事にしようと思ったのはライブハウスに行くようになってから。

ライブハウスで働かんの?と何度も言われましたが私はCDが売りたかったんだ。

 

 

 

 

ただのバイトでありながら、音呼知新と言う一つのイベントを任されて、店の看板背負ってやるのはすごくプレッシャーだった。

実は音呼知新にスタッフとして携わったの、去年の4月から。引き継いでメインでやるようになったのは7月のvol.7から。回数にすると7回。

 

なんかもっとずっと長い間このイベントをやっているような感覚。それだけ濃厚な1年半だった。

 

生活の軸が音呼知新になっていて、遊びに行くライブにしても、普段の仕事にしても、全部音呼知新と繋がっていた気がする。

 

 

いつからか、私はCDを売りたい人ではなく

 

音楽を広めたい人になっていた。

 

 

もちろんCDで感じられるロマンは微塵も色褪せていないし、まだまだ売りたい1枚がたくさんある。

 

 

でも私は音呼知新の人になってしまってたんだなー。

 

器用な人間ではないので、心を許した人にはすぐにしんどいしんどいってぼやいちゃうし、それが出来ないと一人で煮詰まって地元の駅から家までの20分間自転車を漕ぎながらワンワン泣いたりもした。

 

ライブを見て泣くことも増えた。

 

 

 

色んな人と交わした約束とか、

叶えたかった夢とか、

いっぱいいっぱい増えたんだわ、今年1年で。

 

果たせないまま、叶えられないまま、

終わっちゃいそうです。ごめんなさい。

 

 

うまく立ち回れなくて、迷惑かけたり、待たせたり、ツメの甘いところもいっぱいある、なんでもないただのアルバイターの私に、力を貸してくれたたくさんの人に恩返しができないまま辞めるのは、本当に申し訳ない気持ちです。

 

なら続ければいいじゃん!

って思うよね、思うよ。

私だって続けたいです。辞めたくない。

 

たかがバイト辞めるくらいで何言ってんだと言う方もいらっしゃると思いますが、そう思う人に向けて書いているブログではないので、意識高い系アルバイターのブログを読んで、いやまあ別に何も感じなくてもいいや。

 

 

 

 

基本的にネガティブで、自分に自信もなければ、人のことも信じられないような人間だったけど、この一年でそれもかなり変わった。

自分を否定すると言うことは自分を肯定してくれている人たちに失礼だし、自分を肯定してくれる人たちのことを信じたいと思えるようになった。

 

 

成長しかない2017年でした。

 

本当にありがとうございました。

 

話まとまんねーな!

 

またお酒飲みながらゆっくり話聞いてください。

 

 

 

おしまい。

 

キーボードを打つのがすき

小学4年生の頃、自分の小学校のパソコン室が開放されて

お昼休み6年生の教室の並びにある一室に訪れては

友達と「赤い部屋」を検索してキャーキャー騒いでいた。

私は結局赤い部屋を最後まで見たことはありません。

こわいもんねえ。

 

 

中学生になって、タイピングが人より早いことに嬉しくなって

休みの日には友達の家でずっとパソコンをいじっていた。

友達と動画サイトを漁ってはケタケタ笑っていた。

あの頃なに見て笑ってたんやろ。覚えてないや。

 

 

高校にあがって、情報処理の授業があった。

1年ではワープロ検定を取らされ

2.3年ではエクセルをなんやしていた。

エクセルにはめっぽう弱い。

当時はそれなりに飲み込みも早かったので

SUMやっけ?なんかその辺の計算式も網羅した。

あとなんか色々専門的なソレっぽいアレも勉強したけど

今になっては微塵も覚えてない。忘れるのって簡単だね。

 

高校生の頃は更に演劇部に所属していたので

創作脚本なんかも書いていた。

これがまた地獄であった。

なんとなーくで30ページ書き上げて提出して

部員全員がなんとなくて提出した本を一通り読み合わせして

「よしこれで行こう!」と選ばれた本の作者は

本番を迎えるその時まで延々と書き直しを強要されるのだ。

正直物語を書くのは苦手ではなかった。

けど好きでもなかった。

そもそも役者に当たることが多かったので

台詞覚えでいっぱいいっぱいなのに

部活の後残って顧問と打ち合わせをしながら修正入れて

アドリブを台詞に起こして、また少し訂正して。

帰るのが面倒になるくらい学校にいた。

 

脚本を書いていたお陰でタイピングは更に早くなった。

 

 

高校から大学までの間、ネットの友達が増えた。

顔も見たことない人たちと夜な夜なスカイプで通話をしては

チャットを叩いて会話を楽しんでいた。

毎晩毎晩なにを話すことがあるんだと思うけど

正直会話なんて覚えてない。

みんなが話をしている間、適当に相槌打って

適当にボケてツっこまれて、課題をやっていた。

大学で教職を取って、ワードで論文を書いて。

 

 

2年の前期が終わる頃、

なんやかんやで大学を辞めた。

 

特にパソコンを使うことはなくなってしまった。

高校入学祝いに買ってもらったWindowsVistaは

ポンコツになって動作がめちゃくちゃ遅くなった。

 

今のバイトを始めて、ライブに行くのが自分の生きがいになって

名古屋東京広島仙台、色んなところに足を運ぶようになった。

ホテルなんて泊まるほどお金に余裕はない。

移動も夜行バスなので寝る場所は特に求めていない。

シャワーを浴びたいがためにネカフェに入る。

漫画は読まない。読むのが遅いから単発で行っても読みきれない。

次に遠征するときに続きから読もうにも話を覚えていない。

 

パソコンを開いて、

メモを新規作成して

好きなバンドの曲を流して

ひたすらに歌詞を打つだけの時間を過ごす。

 

というのが私の遠征時のデフォルトだった。

 

打つのは早いほうなので

こうしてブログを書こうにも、

頭の悪さ、口下手さが勝ってしまって

自分の気持ちいいスピードでタイピングができない。

 

ゆえに、

歌詞を打つわけです。

 

何の意味もないねんけど

それが楽しかったわけです。

もうしなくなっちゃったけどね。

 

いまは、好きなバンドの曲を聴きながら

何の意味もないブログをこうして更新しています。

 

やることはたくさんあるんやけど

まああの、タイピングは生き抜きなので。

 

ネカフェに入って2時間が経つ。

3時間パックなのであと1時間。

 

残り1時間パソコン使わない。

さみしい、タイピングし納めです。

 

 

私はキーボードを打つのがすきです。

 

が、

 

文字を書くのもすきです。

 

 

手紙とか、ポップとか、そういうの、すき。

 

上手かどうかはさておき、すきです。

すきこそ物の上手なれ

よう考えたなこんなもん。

ずっと好きやけど一向にうまくならん。

そもそも文字書くのうまいってなに。

 

 

 

上手にならんでもいいや、

すきやから書いてるので、それでいいや。

 

 

えんぴつを買いました。

4Bのトンボのえんぴつ。

 

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絵を描く機能があったので使ってみた。

マウスで絵を描くのってむずかしいんだねえ!

 

4Bのとんぼのえんぴつを書く意味もない。

 

 

人は意味のないことをしたくなる生き物である。

知らんけど。

ずっと続けていきたいもの

25日が終わる少し前。

私は一人Fireloopの楽屋でビールを飲んでいた。

 

本来であれば主催の私はフロアでみんなと盃を交わし

「ありがとうございました!いや~今日は本当に良い日だった!」

などと一日の、一か月の、今までの統括的なことをしながら

感謝の念を伝えて回り続けていないといけなかった。

 

でもねえ、今日が終わってしまうのが、心底さみしかったんだな。

 

いままで、私一人でやっていたような。

確かにたくさんの人に支えられて助けられてやってきていたのだけど

結局人間っちゅうのは一人でやることやらんといけんわけで

今までは、私一人でやるべきことが多かった。

当日こそみんなで一夜を作り上げてきたけど

今回はやっぱり違った。

 

いつも特別な組み合わせで

いつだって本気で一夜限りを作り続けてきたけど

 

どうしようもなく今日が終わってしまうのが寂しかった。

 

出来る事なら誰もいないこの楽屋で一人眠ってしまいたい。

気付いたら誰もおらんなってるやないかアチャー!

が一番面白くて一番どうしようもないな、と思ってたりした。

迷惑かけるのでできないですけど。

 

一人で腰痛と戦いながらそんなことを考えていたら

そろそろと部屋に入ってきて「いやあ、やったね」なんて話をしてくれる人がいて

フロアに戻ったら、みんな笑って会話してて

 

今日を今まで作り上げてきた産物は

ライブ本編だけじゃなくて

打ち上げにもしっかり現れてたわけで。

 

お客様にお帰りいただいた後、終電までの時間

私は今日繋いだ縁を、バンド同士でも深めてほしいと

そう思って出演者のみの打ち上げスタイルにしているのですが

もう深まってたわ。一緒に頑張ってきたんですもの。

 

 

参加できなくてごめんなさいとか

お前が一番頑張ってたよとか

いっぱい色んな言葉をかけられたけど

 

本当にこの日をこのメンツで迎えられて

それだけで胸いっぱい、幸せでした。

 

 

私は本当になんにもできひんくて

やりたいことはあるけど怖くて言えないとか

私はそもそも何がしたくて今動いてるのかとか

色んな事が引っかかってずっと身動きとれずにいたのが

みんな本当に親身になって考えてくれて

本来イベンターがここまでさらけ出していいのか?

と言うくらい本音でやりとりしてきた、

から、きっと、今日ができたんだと、

思っていいですか?

 

 

はじまりがあるものは必ず終わりが来るなんて

色んなところでよく聞くけれど

やる前は「終わらせるなら終わらせてしまえ」

「続ける価値を見いだせないようなら続けることは本当に無駄や」

なんてやけくそになっていたりもしました。

ごめんなさい。

 

でも本当に、頑張れるのこれしかないから

私からこれをとったら、次なにする?

 

高校生の頃、演劇に明け暮れて

教師を目指して大学に通って

 

大学を辞めてから夢中になれるものも夢も無くって

ただダラダラコンビニとカラオケのバイトをして

帰って寝て、起きて、ダラダラバイトに行って

 

それが、ライブに出会って

ここまで変われたから

 

やっぱりやめたくない。

 

終わって欲しくない。

 

素敵なイベントじゃない?

 

こんなに協力してくれる人が

一緒にやってくれる人がいるイベント

そうそうないと思うんです。

 

オープン当時から続いてきて

何度も担当も変わって、それでも続いてて

色んな事が最初とは違うけど

それでも根本にあるものってずっと一緒じゃない?

 

音楽が好きで、

大げさかもしれんけど、音楽に救われた人たちが集まる場所を

いままでこうして作って来たんじゃないんですか。

 

 

わたしは、この場所をなくしたくないです。

 

 

終わったところでなにが変わるわけでもないし

誰よりも続けたいのは私やろうけど

 

私が続けたいと思っている間は

続けられるように全部全部もっと頑張らないと。

 

終わったからって空っぽになってるんじゃだめだ。

 

今日が終わって明日が来たら

また明日は私は今日を頑張らないといけんので

 

 

 

 

 

 

なにか書きたいことがあったんだろうか

 

 

まとまらない

 

 

 

まとめるものも、

そもそもなかったのかも

 

 

 

 

めちゃくちゃしんどかった!

思い通りにならないこともめちゃくちゃあった!

 

 

 

それでも続けたい

 

って、8月29日2時32分の私は思ってるよ。

 

 

何月何日何時何分のわたしがこれを見てるかはわかりませんが

折れんなよ。めげんなよ。負けんなよ。

 

しんどくないことばっかやって

おもんない大人になんなよ。

 

頼むで。

 

ちょっとした音楽の話

 

 

職業柄、いろんな音楽が耳に入ってくる。

いろんな音楽を聞ける、聞けてしまう。
買わなくても知ることが出来てしまう。

ということに少し寂しさを感じたりしているのですが、それでも「このCDは買いたい」って思うことはある。

 

小さい頃におもちゃ屋さんで買ってもらった人形だったり、

一目惚れして買ってしまったちょっと高いTシャツだったり、

将来の夢を叶えるために夢中で読んだ参考書だったり、

 

今じゃ遊ばなくなったのに、

着なくなったのに、

読む必要がなくなったのに、

 

ずっと捨てられない、それと似ている。

 

 

 



ってのはきっと、自分の気持ちや思い出がそこに乗っかっているからだなと思う。

時間が経つにつれて、自分にとってかけがえのない宝物になっていたりするもんだ。

 

 

友達だとか、手紙だとか、写真だとか、

所謂世間一般で「大切な宝物」は置いておいて。

 

あなたの宝物は?って聞かれた時に、

多分私は「このCDだ!」とは答えない。

 

 

宝物ってなんだろうな、

いま考えてみたけど私は宝物を持っていないのかもしれない。

 

 

 

 

ずっと持ち続けてるぶれない思想とか、

一時の昂りで抑えきれなくなった感情とか、

忘れられない優しい言葉とか、

忘れたい尖った言葉とか、

 

色んな要素が絡まり合って

私という宝物がある、

って言うのはどうでしょうか。

 

 

その色んな要素の中には

間違いなく入ってくる。

 

あの日買ったCDとか、

これから買うCDとか、

 

色んな音楽が私になって行くんだろうな。

 

 

 


もっともっとたくさんの人が、かけがえのないたった一人のあなたと言う宝物と運命的な出逢いを、と思うから仕事をやめられないんだろうなと思う。


音楽やってなくても、音楽への情熱がここにあってよかったな。‬

 

 

 

そんな気持ちにさせてくれる音楽が手元にあってよかった。

 

ええ夜が更新されていく

今日はええ夜やった、と呟くたびにええ夜が薄れていく気がするのは気のせいだろうか。
少なくとも自分の中では確かに今日もええ夜だった。が、それを外に向けて発信することでどんどんと薄っぺらいものになっていく気がする。

それでも、昨日はええ夜だったと私は言ってしまうのです。

毎日夜は眠れない。
その日に満足していないのか、布団に入っても眠れない。
毎日大体落ちるのは3時頃。家の前を大型トラックが通る。その音を遠くに聞きながら落ちていく。

そんな私が、昨日は、「ああええ夜になった、もう寝ていい」と思ったの。
それはもうまごうことなきええ夜だった証なの。

決して他の日に満足してないわけではないけど、「もうひとこえ!」が止まらないわけだ。

昨日は特に人と話すでもなく、本当にステージだけでお腹いっぱいだった。あとビール。

夜はネットカフェに入った。
シャワーを浴びて、あれだけ寝ることを望んでたのに結局1時間くらいしか眠れなくてもうなんだかわけわからんなこれ

バスで大阪に帰ってミナミホイール。
この5時間ばっちり寝てやろうと思います。

今日もええ日になるんやろうなあ。

中途半端なんですね

私はとかく出来が悪い。

容姿、性格、人当たり、姿勢、酒癖、成績、態度、視力、言葉遣い、その他諸々…
挙げだすとキリがないし、このままでは私のメンタルがズタズタになってしまう。自分で言うといて。

特に最近は「性格」ってやつがそれはそれは悪い。
いい子やねとか、優しいねとか、そういう類のいわゆる褒め言葉は「この人は本心で私に言ってるのか」と疑ってしまう。
性格が悪いのは自分自身が一番わかってるし、外面よくして21年 割とヘラヘラ余裕ぶっこいて今までやって来たし、愛想よくしてたらみんなそれでええんやなあって思ってたし。
他人にどう思われても、自分が自分のことクズやなと思ってたら救いはないなと思う。

絶対的正義みたいなのがあればいいけど、私の中の正義のヒーローは簡単に揺らぐ。悪はどんどん倒せ!思想やけど、「あれ?こいつ悪?」ってなることが多い。

小さい時から私は割とひねくれていた。
ただ、人から向けられる悪意に鈍感だった。
小学一年生の頃は同じクラスの一番背の高い男子にいじめられていたらしい。覚えてないわけじゃない。どんなことをされてたかはしっかり覚えてるけどそれをいじめと感じたことは私自身一度もなかった。
嫌がらせにも気付かず、遊んでるんやと思い込んでやり返したりしてた。相手が一番背の高い男子と言え、私も一番背の高い女子だったので、それなりに気は強かったし、友達もそこそこ多かったので心細さも一切なかった。
小一の一学期でそこの小学校からは離れることになり、最後のお別れ会の時に一番泣いてたのは私をいじめてたらしい背の高い男子だった。
人のために涙を流せる子がそんなことできるわけないと私は思ってるけど、「あんたはいじめられてた」って言われた。あいつが私をいじめてるつもりでも、私の心は全く微塵もかすり傷すらついていなかったので彼を悪だとは思わない。

今でも鈍感さはあまり変わっていない気がする。それは人から向けられる悪意ではなく、自分から誰かに向けた無意識の悪意に関して。
私は鈍い。かなり鈍い。
相手を傷つけるつもりでないのに、嫌な気持ちにさせてしまうことがとても多い。
彼女たちはそれを面と向かって私に言わない。きっと人から向けられる悪意に対して敏感だからだ。「これは悪意だ」と認識する力に長けているからだ。そして人から向けられる悪意に慣れているからだ。と私は思う。
本人を前にして直接ぶつかると面倒なことになることがよくわかっているから、敢えて言わないのだと思う。あの人たちは頭がいい。
私は頭が悪いのですぐにつっかかるし反発してしまう。そのせいでドンドンしがらみは増えていく。もっと賢く生きたい。

出来れば私も面倒なことは避けたい。
けど、納得いかないことをそのままにしておくのも嫌。
欲張りな私は、結局どっちつかずで中途半端におわる。


このブログも何が書きたいのかわからなくなってきた。
あれも書いてこれも書いて、あっ そういえばあんなこともあったな
欲張りな私は、結局話を纏められず中途半端に文章を終える。








































ほんとにおしまいだよ!

姫路のおばちゃん

土曜日の朝から姫路のおばちゃんが緊急入院して、そのままお昼頃に息を引き取りました。
ずっと調子が悪いのは知ってたけど、向こうと家族の予定がなかなか合わなくて結局最後も会えないまま終わってもうた。
亡くなったって連絡が来てすぐ電話して「今から帰る」って言うと「今日は帰って来てもなにもすることがない。オトンも今晩は帰ってこられへんから、辛気臭い顔して家におるくらいならライブ見て笑い貯めしておいで」と母に言われた。数年前の母の口からは100%出ない言葉。
そうは言われても普通なら帰るやろ。帰って色々話聞くところやろ。と十三の街で電話越しに母と口論。するくらいなら勝手に帰れってな。

姫路のおばちゃんの家には、小さい頃の夏休みによく行って 3日ほど泊まってダラダラ過ごす〜ってのが定番やった。3日間はずっとファミコン。当時の私のお気に入りはドラえもん2のび太のトイズランド大冒険。内容は覚えてないけどマリオ的それやったはず。

久しぶりに会ったおばちゃんはおめかしして綺麗やった。れみより顔色はよかった。最後に会った時は確か髪の毛も黒やったのに、今日見たら真っ白になってた。
おじいちゃんが死んだ時、病院でもお通夜でも顔を見られへんかった。ついこの間までしっかり目開けて手握ったりしてたのにそんなすぐに人間が死ぬわけナイナイと思いながらもお母さんも叔母さんも号泣して「お父さんお父さん」言うてるし、少し離れたところでお父さんも1人で泣いてて、れみはびびって近づかれへんかった。だっていつも泣かへん大人が泣いてるんやもん。こわいこわい。
れみがおじいちゃんの顔見たのはお通夜終わってみんなが集まってご飯食べてる時。親戚みんなどっさり集まってるのにお父さん(お母さんがおじいちゃんのことをお父さんって呼んでたのでれみもお父さんって呼んでた)(父親のことはオトンと呼んでいた)だけおらんのが変な感じで、一人で寂しいやろしれみお父さんとこ行ってご飯食べよ〜ってふらっとおにぎり持って行って、棺桶の蓋開けたらめちゃくちゃ痩せこけてて口もしわしわで「寝てるみたいやね」「今にも起きそうやね」とか言うてた奴ら全員絶対嘘やろ全然寝てないやん絶対息してないやん やばいやばい うわ、ほんまに死んでるんや っておにぎり食べられんでそのまま1人で泣いていた。あれはドラマのワンシーンになってもおかしくない。人の死は当時の私には重すぎた。杖がないと歩かれへんくせにウイスキーストレートで飲んではこけて隣の工場の兄ちゃんに助けられてたお父さんがわたしは割と好きやった。わたしの酒好きはあの人譲りや。

お父さんが死んだ時のことはわりかし覚えてるほう。一緒に住んどったからめちゃくちゃ喧嘩もした。色んな話聴いて、色んな歌聴いて、 お父さんは歌も絵もじょーずやったなあ。北酒場なんてめちゃくちゃじょーずやった。赤ちゃんの時のれみを書いてくれたの、どこにあるんやろ。プロ並みやってんで。すげーねん。

姫路のおばちゃんが死んだのに、お父さんの話ばっかりしてしまった。

正直れみの中でまだ姫路のおばちゃんは死んでない。
今日顔を見た時も、それこそほんまに起きてきそうで、痩せてはいたけど死んでるようには見えへんかった。
今日が顔を見る最後やけど、多分あれで死んだって実感できんかったってことは今後感じるタイミングはきっとない。だからきっと姫路のおばちゃんは一生れみのなかでは死なない。
お通夜は出られへんかった。髪の毛の色が派手すぎたから、そんな頭で出されへんって叔母に怒られた。
こないだ染めたばっかりやっちゅうねん。なんでこのタイミングなんや。黒染めしたらよかったんやけど、お通夜の後顔見れたらそれでいいかって姫路まで行って、お通夜のあいだ1人でふらふらしてた。
姫路に1人でおるなんて初めてやったからすごく心細かった。会場の近くはなんにもないし、全然面白くなかった。
親戚の人たちは皆同じ顔に見えて、だれがだれか全然わからんかった。姫路のおばちゃんしかわからんかった。姫路のおばちゃんはわかった。


ああ、
会いに行けばよかったなあ

死んだ時だけ顔出しやがって今までろくに連絡もなかったくせに!
なんて言ったりするけど、死んだ人は、みんなを集めてるきっかけを最後にくれてるんやと思う。なんか誰かが言っとった。
ちっさい頃は「人が死んでるのにこの人たちはお酒飲んでげらげら笑って最悪やな」とか思ってたけど、死んだ人を想って昔話に花を咲かせたり、久しぶりに再会した人と近況報告したり、酒飲んでご飯食べて笑ってがきっと正解なんやなと最近思えるようになった。

死んだ死んだって文字にすると段々姫路のおばちゃんが死んだって感じしてきた。わざとやねんけどな。実感なさすぎるから。

変な頭になって、姫路のおばちゃんが死んだ時もれみは立ち飲み屋でビールを飲んでたよ。だめな大人になって行ってるよ順調に。もうちょっと真面目に頑張るよ。会いに行けばよかったとかしょうもない後悔しててごめんよ。
多分お父さんは向こうでまたお酒飲んでへべれけになってるので、姫路のおばちゃんがしっかり見たってください。とか言うてもヘラヘラ笑いながらお酒ついでるんやろなあ。れみらがそっちに行くのはまだまだ先(のつもり)やけど、その頃にはれみもお父さんとへべれけになるので、また笑って見ててください。

あー!死んでもうたー!くそー!
大人になるってこういうことか、漠然とわかってきたぞ。
くそー!




くそーーー!